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大学時代の恩師が「儒家は理想を煮詰めたもの、法家は現実を煮詰めたもの。甘味も塩味も煮詰めすぎれば喉を通らない」と説明していました。
大国を治むるは小鮮を烹るが如く。これは思想にも当てはまるんだよね~
儒家と法家について、これほど腑に落ちる言葉はなかったです。となると後世の政治家たちは儒家と法家のエッセンスを塩と砂糖で味を整える料理人のような腕前が必要ですね。
かっこよすぎる言葉
私はゴリゴリの法家ですが、覇道だけでは片手落ち、とはよく言われますね。
漢の宣帝は王道と覇道を交えるのが政治と言ってましたね
法家思想を語る前に、法の語源(字源)から入るスタイル良かった
宮城谷さんの作品だと文字の由来の解説をしながら話を進めるスタイルはかなり多い。
法か個か システムかタレントか おそらくこの辺の相克は中国史や人類史の中でずっとテーマになってたんだろうなと
法の漢字の成り立ちクッソ重厚な意味あるの好き
韓非の法律や人間の議論は、現代の法哲学に通じる非常に興味深い議論だと思います。冷徹にしかし愛情を持って人間と人間社会を観察した人のように見えます。
最冷的是老子,所以有道法同源的说法
ありがとうございます!
ご支援いただき感謝……まこと感謝感激でございます……!!とっっっても励みになります~~~~!
法の支配なのか、人の支配なのか、公平公正か、権威主義か、中国史はさすが奥が深い。
儒家道家法家、時代が下るごとにそれぞれ別個ではなく複合的に組み合わさって人々の精神の土台になってる印象。中国だけでなく朝鮮ベトナム日本でも
現代の我々が法に囲まれて生活している、古代中国の法家思想がそこに繋がっているんですね。
漢宣帝の云う王覇の良い所取りこそ基本であり、現代にも通ずるところだな
法の支配の重要性についてモンテスキューらよりも1000年以上先駆けて説いたことがすごい!と思っていましたが国民国家を前提としたものとは若干ニュアンスが異なるのですね。特に重要視した『術』とか。勉強になりました。
若干というより、西洋の法支配と中華の法支配はまったく異なりますよ。中華の法家は確かに法の支配ですが、あくまで中央集権統治を強化することによって、国家と人民を繁栄させるためのもの。対して、西洋では中央集権を否定することが主であり、「司法」「行政」「立法」など権力分流(モンテスキュー自身はさらに細かく分けろ、と説いてる)によって、絶対者による法支配を防ぐことが前提となっています。むろん、韓非子に説かれるようにそれぞれの説諭は今の時代にも通底している要素が多くあり、現代人の我々からしても魅力的なのは確か。アリストテレスの「ニコマコス倫理学」やプラトンの「国家」と比較して読み込んでみると、非常に面白いですよ。
『やたらと国政改革に乗り出した人々』は言い得て妙すぎる
初めの管仲は鮑叔と深い友情を結んでいたのに、末期になると韓非のような徹底的に人間不信思想になっていくのは面白い。ただ、欲深い人間の本性を利と定義して受け入れているのはまだ正直でよろしい。
現代に法治国家が残っているあたりその正しさを証明していると同時に、未来の社会はテクノロジーに補われ礼治社会が実現しているかもしれないと思いを馳せるのもまた歴史のロマン。
法家を扱っていただきありがとうございます!大変楽しく見させていただきました!
多大なご支援!!まっこと感謝感激光栄の至りですッ!!ご厚意を励みにますます精進していきます~!!
とても面白かったです!彼ほどの思想家の個人の記録がほとんど無いというのはとても残念なものですねこれほどの思想を練り上げる彼の人生はどのようなものだったのでしょうか…とても興味をそそられます鳥人間さんの解説はテーマの一面だけでなく長き中国の歴史を縦にも横にも切り取って見せてくれるので毎回大変勉強になります。いつも本当にありがとうございます!
温かいお言葉に多大ご支援、まこと感謝感激でございます!!大変励みになります……!!今後も楽しい楽しい中国史の時間をお届けできるよう、奮励努力いたします!!
素晴らしい動画、いつもありがとうございます。少し補足するとして、中国の法家の法治主義を現代の法治主義とは別物としてみるべきと考えています。具体的に言いますと「システムを重要視し、賢者を必要としない統治が行われるべき」というのは「現代の法治主義」であり、一方、韓非が重要視する「法」「術」「勢」はすべて統治者の資質に依存する点から見ると、その法治主義は冷徹で知的、かつ国を統治する意欲と精神力と体力をすべて備わった始皇帝のような「法家的賢者」の元にのみうまく稼働しないと思われます。だからこそ秦以降の政権では法家の考えを統治の根幹に据えながらも、儒家の徳治という建前をも取り入れるなど、時代と共に改善されていったのです。
在帝王统治时期落实法家的理想需要术和势,当今社会术已经无效,势已经由深入人心的民众认同取代
Thanks!
いつもご支援いただき、本当にありがとうございますッ!!大ッッ変!励みになっております!!
ほーかほーか!個人的に故・安能務氏の著書で初めて韓非子を(名前と法家以外を)知りました氏の著書は…今ふり返ると結構「どうかな?」と思うところもありましたが、今日までずっと中国史を好きでいられる切っ掛けを下さり、鳥人間さんと共に本当に感謝してもしきれません😊
安能務...皇帝信号機説とか、宮中府中の権力の綱引き、就中手ごわい中華官界の「朋党比周」問題をザックリ面白く解説してくれた。私がいまだに中国史見るときのモノサシです。「封神演義」読んで、(後半のバトルになるとダレてるなあ、漫画化は無理だろ)。などと思っていたら、例の傑作がジャンプで...自分の知恵の浅さを思い知りました。
こういうお話を広く浅く知る事が、教養を高める一つの助けになるのではと思いました。何度も繰り返して見て咀嚼していくべき内容ですね。もう10回は見ましたよ。後、法家と儒家のバランスが一番うまく取れていたのは北宋時代だったのではとふと思いました。
最期に律令が出てきましたが、まさにこの律令を通じて日本にも法家思想は入り込んでいたことになりますね。
守屋洋先生作の諸葛亮の兵法って言う本に、人材を見極める方法のひとつに、わざと難題をふっかけて、できなくてもいいから、それに対する取り組みの姿勢を見るって言うのがありましたな。
孔明、逆にやっていたような(3万近くの矢を集めろなど)
蔵出しありがとうございます♪
この法家思想が現代社会の礎になってますね!現実をとことん直視し、言語化して体系化、そして、実際の政治に取り入れようとした、韓非、商鞅、李斯の努力には感嘆します。
確か香港に関するテーマで鄧小平とサッチャーが会談した際に、サッチャーがどれだけ「自然権・自然法が人類にとって普遍的なものであるか」を説いても鄧小平が全く意に介さなかった、という話を聞いたことがある気がするが、まさにこの韓非子の法の概念が現代でも生きていて、西洋の自然法・法の支配(人間に対する法の優越)の受容を阻んでいるんだな、と思った。「西洋とは別の、中国には中国の法がある」という歴史に裏付けられた誇りみたいなものなんだろうなあ。
諸子百家中最高の偉人、待ってました!
今週も限定動画の作成お疲れ様でした。次は水曜日の動画を作らないとなぁ…。カイチとかガチガチの法治主義とかメガテンファンからすればニヤニヤしちゃうネタが一杯で飽きずに見れちゃった。そういえば鳥王朝の法律は一体どんな内容なんでしょうかね?
先日、NHKで林先生が司会してる動物バラエティを観ていたんですけど、途中で、「この動物にはこの言葉を贈りたいです」って、韓非子のセリフ(忘れた)を挙げてたんです。エンディングでパネラーの芸人さんが、「今日は『ぴかんし』という言葉を学びました」と言い放って……いや間違えんやろ。
1:05 法家思想には、近代合理主義のような分かりやすさがあると思いつつ、厳罰に傾きがちなところが馴染めずにいました。でも、「法」の元の字にこんな聖獣がドカンと居座っているなら仕方がない。法家思想の初期の思想家は皆、この聖獣込みで「法」のことを考えていたのでしょうから。
ほなの
そ
いつもご支援いただき、恐悦至極ゥ!ありがたさ噛みしめ、動画作りに邁進します~!
法家深堀韓非万歳回の語呂の良さよ
安能務さんの『韓非子』が面白く読めたなあ……「相手のためを思ってとか碌な事にならんので、自分のためにと思ってたほうが精神的にもいいぞ」
道路の「のり面」ののりって、法の字なんですよね。なんでだろう。
少し前から感じていましたが、法家思想は儒家思想に取り込まれたと思います。
反法家の漢といっても劉邦、曹参、蕭何が秦の役人だったから望もうが望まないが法家を継ぐのは当たり前だ。蕭何が秦の首都に入った時他の人物が宝物庫に殺到したのに蕭何だけは行政文書がある所に行って文書を保護してその後の漢の国家運営に役立てた。秦の後の王朝は表は儒家だが裏は法家なのは当たり前。
というか中身が何十年もかけて秦に近づけていってるからな
儒皮法骨,外儒内法大概就算是中国古代王朝的内核吧🤔
現代人のイメージする法と韓非の考える法との違いが分かりやすく説明されていて、参考になりました。そりゃ、人間の感情を無視して、厳罰で秩序を維持しようとすれば、苛政になりますわ。
漢字大好きなので法の古代文字が知れて興奮しました。韓非子は荀子の弟子でないとすると李斯とはいつ知り合ったのか気になりますね。まぁ韓は秦の属国だったみたいだから出会う機会もたくさんあったかもしれないですね。ぼくは性善説を信じる孟子ファンなので孟子もしくは儒家思想についても解説お願いしたいです。
あれから二千数百年、今の法は、ものすごく民心に拠ったなぁ。
あけましておめでとうございます。新年早々、己の為なら嘘も方便、無法も正義と嘯く方々をSNSで多数見てしまい、「現実にもカイチがいてくれたらな〜」と言いたくなる今日この頃。
何事もバランスだよね
『仁義施さずして、攻守の勢い異なればなり』一賈誼 『過秦論』 秦朝は中原帝国の「1.0バージョン」であり、その制度は極めて不完全であった。商鞅、韓非子、李斯などの法家人物が戦国時代に適応するために制定した法律は単純に「覇王の術」、「富国強兵の術」のレベルにとどまっている。漢代の律法のように、平和な時代の社会の長期統治の問題を考え始めたわけではありません。 「儒者は文をもって法を乱し、侠者は武をもって禁を犯す」,多くの法家思想家(商鞅、韓非子、李斯、申不害、李悝)の目には、他の諸子百家は「不要な存在」である。仁義・道徳を尊ぶ儒家(孔子、孟子)は、仁義なき戦国時代には鈍感で軟弱とされ、君主の国家統治能力を傷つける。戦争に反対し、任侠の風を尊ぶ墨家(墨子)は、君主の権力掌握から外れた「武力団体」であり、彼らの存在自体が法家の法律思想を踏みにじっている。名家(公孫龍、恵施)や雑学家は売名の徒だ、ほとんどの場合は「地位や官職を与える資格がない」俗物である。道家陰陽(荘子、老子、鄒衍)は皇帝のために不老不死薬を探す必要があり、星占いなどの活動に従事する必要があり、統治者の統治合法性の弁護者にならなければならない。農家(陳相)や兵家(孫子、孫膑、呉起)は法家の統治機械の一部にならなければならない。農家や兵家の民本思想は徹底的に廃棄された。農家は君主が庶民と一緒に農業労働に従事すべきだと考えている。兵家は統治者が最下層の兵士と苦楽を共にするべきだと考えている。法家の目に映る君主は法律と社会管理を維持するための道具のように見え、百姓は「耕」と「戦」ための道具である。 軍功受爵制度、土地、人口に関する賞罰政策、残酷な刑罰はすべて庶民を激励し、懲罰し、さらに「耕」、「戦」という2つの需要をコントロールする手段である。だから秦国は「街で草木灰を撒いた人は鼻を切られる」(世界史上初の農業環境保護法案?)、「すべての国民に犯罪を制止する義務がある」、「普遍的な連座制度」、「兄弟同宅居住禁止」、「官僚たちが相手の汚職を告発することを奨励し、摘発されたすべての人が処刑される」(人類史上最も率直な反腐敗・反汚職法案?)という現代人には理解できない法律を制定することができた。 貴族の世襲権は消滅し、士大夫であれ最下層の賤民であれ、軍功によって爵位を獲得しなければならない。あるいは食糧や布の生産量に応じて労役や税負担を減免する。旧時代の井田制度と貴族土地制度は廃止され、土地の私有化は法律の承認と保護を得た。秦国もそのため、戦国乱世の中で社会治安が最も良く、軍隊の士気が最も旺盛で、百姓の労働意欲が最も高い国となった。乱世では国民全員が法の罰を受けるが、戦争から利益を得ることができるからだ。収益>懲罰、だから残酷な重刑による社会問題は一時的に無視され、法家と兵家もそれによって戦国時代の各国で最も人気のある学説となり、各種の法家人物と兵家人物が政権に上がって法律を改革し始めたが、秦国だけがこの統治思想を120年以上維持した。 zh.m.wikipedia.org/zh-hans/%E8%80%95%E6%88%98 『秦法』、『秦六律』のすべでのすべては戦国乱世の「耕」(富国)と「戦」(強兵)のためだけに奉仕し、戦争や大型土木工事(長城)、農業水利施設(都江堰)の建設に庶民を動員し続けることを強調した。日本の戦国時代の多くの諸侯や大名(例えば私が知っている武田信玄、天下統一後の豊臣秀吉)も本質的にはこの法家の法治思想と「耕戦」理論の農本主義+古典軍国主義の信者であり、農業を代表する「耕」、戦争を代表する「戦」だけが士人、武士が学ぶべきものであり、ただ彼らはもっと「儒表法裏」の道徳教化のモデルを取っている。暴政レベルの厳格な法律、賞罰政策は真っ先に放棄された。 戦国乱世の時代,百姓は厳しい賞罰政策の激励の下で軍功を立てて爵位と土地、奴隷と財富を得ることができる。農業施設、土木施設の建設に参加すると、無料の家畜、農具、減刑、贖罪などの奨励を得ることができる。天下統一の時代になると、厳しい賞罰政策と超高強度の動員は庶民にとって単純に罰的な役割を果たし、経済生活を破壊し、庶民に大きな負担を与えた。法律と賞罰政策の役割を過信し、仁義によって庶民と士人貴族を団結させる役割を軽視している。秦の地の下等爵位国民はこのような残酷な法律に耐えられなかった(非常に軽微な犯罪でも手足を切られ、爵位を奪う)、秦に征服され占領された六国の亡命貴族と遺民は最も激しい反抗者となった 同時に戦争の拡大により、軍功によって爵位を獲得した国民の数は膨大になり、爵位の含金量が大幅に下落した結果となった。統一戦争時期に立てた戦功や爵位は天下統一後の刑罰を免除することはできず、過酷な封建的義務労働や徭役を免除することもできない。これも関中と秦地の百姓が秦王朝が滅亡した後、急速に劉邦に倒れてしまう最も直接的な原因である。劉邦はあまりにも残酷な法律を制定していないが、単に「約法三章」であり、法律を簡略化し、刑罰を軽量化しているからだ。
法家って名前よく聞くけどよく分かってなかったのでよく分かってよかった
今年もよろしくおねがいします 秦の法制度と言えば基礎だけでなく体系化して国ごと変革したのは商鞅と呂不韋の二大宰相なのに2000年後まで名声を得たのは韓非。李斯なんて業績で商呂に劣り名声は韓非の件と胡亥擁立の汚名の方が上という悲劇。中国も判官びいきなところがある気がする。あとよく言われる韓を強国にするために韓非が書を書いたというのは韓があの時期に強国になるのは不可能なので眉唾。
法家的統治の先駆けにあたる魏の文侯自体が孔子の弟子に師事する儒家的な人間でありながら法家の李克を信任して魏の全盛期を作ったってのが儒家を主として法家を従とする漢代以降長々と続いた両者の補完的な関係性を表してるみたいでなんか意味深ですね
フレッド・リンは現役最晩年にヤクルトだか阪神だかに来るっていう飛ばし記事で知ったなあ。
絶対いえないけど、仕事してて一番役に立った本って韓非子なんですよね。マキャベリよりも遥かに大組織に向いた組織論だと思う。特に身の守り方については、本当に身も蓋もなくて好きだな…(でもこれを公言しちゃうと、人でなし!って言われちゃうから言えないのよ…)
読んでみようかな
マキワヴェリはアレキサンダー大王アレキサンダー大王うるさいですよ(君主論で頻繁にアレキサンダー大王を引き合いや例に出したがる)
私も今同じ理由で韓非子読んでいます。職場にはいろんな人がいるので儒家的価値観で人付き合いすると病みそうになるため韓非子くらいの割り切りが丁度良いです。これからの時代は韓非子です。
話を聞く限りは法は影なるもので、儒教の教えを支えるものとしては良いが、それを全面に押し出すと潰れるという印象を受ける。やはり人間不信が根底の思想が人を表立って支配するのはなんかちがうよねぇ
今BS4時に中国ドラマ「大秦帝国」で、商鞅を描いてますが、法を施行するのに、貴族や大地主の抵抗にあって非常に苦労している場面をやってます。例え秦でも、容易く法治が定着したわけではないと思いました。
任何内部改革都是艰难的,它会动摇既得利益者的权益,幸运的是商鞅虽然死了但他的理想被继续执行下去
でも漢武帝は儒家的には勿論だが法家的にも理想的な君主かというとちょっと…
汉武帝奖罚分明更多的偏向法家
戦国韓は後の潁川のことですね。三国志の曹操が法家的だったとはよく言われることですが、彼のブレーンに潁川出身の法家(鍾繇・郭嘉・陳羣)が多かった事で裏付けられます。
まってた
なかなかに考えさせられる動画でした。個人の資質に頼るのではなくシステムで統治する。飴と鞭で民を統制する。たしかに農業国を統治し、効率的な軍国主義国家をつくるにはいい方法でしょうが、社会・経済の発展と言う意味では良くないでしょうね。法家は「政府は正しい」が前提にあり、民が政府に反すれば罰する、ですから、政府がわからないこと、間違っていることについては、修正が効きません。決まったことを繰り返す農業国ならそれでもいいんでしょうが、商業・工業分野で「政府が正解を持っている」ことはほとんどありませんからね。そこは民の自由に任せないと、うまく動かず発展もしません。秦の統治に抗ったのが、斉や楚などの商業の盛んな地域だった、というのは示唆的なんじゃないでしょうか。
これは納得します。皇帝個人を正当化するか政府を正当化するかの違いはあっても、儒家思想も法家思想も統治者は正しいという前提はありますよね。でも歴代の中国王朝は基本的にそれ以外の統治理論を持っていなかった。だから経済システムや科学の進歩で西洋に遅れを取ってしまった。
法家思想は実は孫子の兵法とかなり相性が良い。ただし、孫子の兵法がタヒ生存亡の道を前提とした戦時思想だったように法家も戦争色が強く、それが絶えない時代には適合しても、法治主義そのものは別としても、平時の法運用にその思想が適するかというと、そうでもなかったりする。実際に現代社会で孫子や法家的思想のまんまで企業や国家経営をすると、とんでもないブラック企業や体制主義国家が出来上がる。まさに、生兵法は怪我の元。
韓非子大好き中華帝国今上皇帝「ん❓️何か不満があるのかね同志❓️」
今BS日テレの中国時代劇で大秦帝国をやっているので参考になりました。
マキャベリの君主論に先立つ法哲学
次は農家で。毛沢東とかポル・ポトに影響与えたやつ。
紀元前の法家韓非の思想って約2000年を経て流行ったAIが人類を制御し統制する近未来を舞台にした創作物に近い物を感じるこういう理想(空想)を抱く人って何千年経っても現れるんだなと言うのが個人的な感想
ものすごくよくまとまってる韓非子。韓非子入門として推したい動画
現代まで残る真の帝王学。
厳しい法律は秦の特徴
所謂 諸葛公明は優秀な為政者と言われる様になりましたが彼も法治体制の元で仁義的な国家運営を行ったのでしょうか。
勢関出てきて草
これは垂涎ものの動画なのだ...
激賞にご支援!まこと感謝感激です……!!ありがたや……ありがたや……!!!
ほーかほーか(そうかそうか)
徹底した管理と目的達成へ人々を駆り立てる信賞必罰、正と負のインセンティブ設定などは現代において大成功してる企業キーエンスと似ている点がある。
システムが高度になるにつれて、システムを粛々と運用するために要求される最低限の資質ですら何万人に一人の優秀な人を待たないといけないしより優れたシステムを生み出すには何億人に一人の優秀な人を待たないといけない時代が進むにつれて儒教の聖人名君の登場を待つ姿勢を笑えなくなっている
私は儒家の言うことはあまりに理想主義過ぎて、それでは国は成り立たないので好き好みでいうなれば嫌いな方ですが、法家の言うことはあまりに現実主義過ぎて、国は治まりますけど窮屈に感じます。何事にもバランスが大事ということが分かりました。今の世界の大半はその中間か独裁のいずれかに属しているのをみれば、二千年以上前から議論されていたのは凄いと思います。
「人治国家」と「法治国家」を繰り返す、c国とはこれ如何に
王建王「ほうか」
会社組織でゆうところの広く多く採用するのが人事部(儒家)で人材を適材適所に見極めるのが各部署(法家)なのかな。違っていたらすいませんm(_ _)m
史記と戦国策の食い違いは珍しくはない。代表的なのは孫臏に関する記述である。
よく冷徹なことをマキャベリズムというが、韓非子の方が冷徹やなあ、と感じた
「法を制定して刑罰を定めるのは、民が恐れて禁を犯そうとしないようにさせるためである」素晴らしい言葉だ一人殺しても死刑にならず、少年だからと、義務教育が終わっているのに、刑を軽くされる、おかしな話は無くすべき
同時に。白いものを黒だと言い張り、恥知らずにも自身の利を得る為に、法を捻じ曲げようとし、反社会的な行為を繰り返す陰謀論界隈や過激派活動家もいなくなってほしい…
法治とかを求める法家は愛情に飢えていたに違いない
法律って刑法とかだけじゃなくて国家運営とか統治システムそのものを定義するっていうのは今では当然のこと。理論上は法律が完全であれば、あとはそこにどんな君主や官吏をはめ込んでも国は回るって考えだろ。しかし2000年後に世界標準となる思想を考え出すとか、この人たちは天才という表現では不足してる。無から独力でこの壮大な思想体系を拵えたのであればそれこそオーパーツだけど、諸子百家にも長い歴史があって、先人に学んだり各学派でそれぞれ議論を戦わせたりしながら発達したんだろうな。
出典がまるでないので、書いてくれませんか。
法って所謂デバイスなんだなあ、と感じます。儒や道って結局人の心を体系化したものだから半ば宗教化していったのに対して、法は人の心がない、あるのは束縛する器具のみ。あまりに即物的です。ここ数回の動画の流れで見ていくとこのあたりの解釈が結構面白いです。人の心を信用出来ない長城に頼った王朝と外交やらで人を重視して国防を図った王朝、ただ後者はその結果宦官外戚の蔓延る朝廷を生んでしまう、そして宦官を跋扈させなかった宋も皮肉にも長城の意味がなかった王朝だったという(笑)中国史の不謹慎な楽しみ方ってこういう皮肉の連続を追いかけることなんですよね(笑)
ん、これは日本社会でも取り入れるべき思想でもあったんだよな、お上に厳しい法思想な訳だしよ、民に対して厳しくしなくていいんだわ😜
法、、経、、
サムネイルの絵を見るとどうしてもゲスボイスで相手を論破する光景が頭に浮かびます。
実はだいぶ前の岡田斗司夫さんが人間とはと精神病を語る下りで、正しく人は利だけで動くてのを言うてるのを聞いて、論理的な考えを突き詰めていくと韓非子に似た思想になるんやなぁと思ったことを思い出しました。立憲君主制の根幹は韓非子と法家じゃね?と大学時代に勉強してたことを懐かしく思い出しました。難しい内容をわかりやすく伝えてる動画、今回も大変面白かったてす。
墨家もお願いします
法律、ルール、マナー、価値観といった枠にとらわれない自由な環境下で、新しいことを成した奴はまだいない
史記の韓非のお話は友人だった李斯に裏切られ陥れられてなので悲しいんですよね、そして史記は友人を裏切った者の末路はえてして自業自得のものなんですよね。司馬遷は侠気のある人だったみたいで歴史上のそうした行為はちゃんと書いてしまも評価は手厳しいものになっている気がします。
孔子がいかにお花畑理想論だったかわかる気がする
キングダム作者が小島瑠璃子との密会をすっぱ抜かれたことを鑑みても、ひとというものは、利によって動くことがわかる
色と欲との二人連れ。
ちょうど今韓非子を読んでいてイメージがより膨らみました。これから貧しくなる一方の日本で身を守り社会で生きて行くために必要な思想だと思います。
コメント欄どうなっての?最新の動画なのに4ヶ月前って?
四か月前の有料会員限定動画を本日一般公開したんですよ。四か月前のコメントは貴族階級(有料会員)の方々のものですw
「『法治主義』ってのは現代でも理解し易いんだけど、何か違和感も持ってしまうんだけど…」「それは『立憲主義』という概念が欠けているからだろ?」「あ、そうだ、法律が為政者の行動も縛るという考え方が不足しているようなとこはあるね」「荀子には為政者も縛ろうという思想があったが、それじゃ戦国時代の君主には到底受け付けて貰えない。そういう傾向が濃厚だったのが『墨家』だったが、見事に粉砕されてしまった。『法家』の法治主義というモノは、支配者向けにオブラートにしてしまった辺りが思想的な脆弱性か。法治主義は秦の時代以降、中国では基本的に貫徹されているが、権力者を縛るのは、良くも悪くも道徳主義的な儒教思想だという二重構造が、その後の中国王朝で維持され続けてきた特徴でもある」「あんまり現在も変わっていないような…」「まぁ、単純に西洋思想的な分類法を当てはめるのもどうかとは思うが、ただ二千年以上前に中国で立憲主義的な思想が生まれていたのは興味深いな。あくまで『三國志演義』の劉備象だが、かなり自己抑制を効かせる辺りが魅力に繋がっている。そこにはやはり権力者は抑制的であって欲しい、という民衆の思いが込められているのではないかな?」
国を治めるのは、法か?道徳か?答えは、両方なんだけど統治は難しいよね。今の習近平政権見てると思うわ。
おかげで嬴政殺されかけたのにね…
甘い糖衣でくるめた正露丸、それが中国王朝。
砲火放火
管鮑之交の絵何かBL臭い絵だな。
人は利でしか動かない、というのは、人に善性はない、人は自己中心的=悪、ということなのではないですか?
法家认为人性本恶,儒家认为人性本善,荀子例外
中学の時にマキァヴェリを読み、高校になって韓非子を読んだからか、人間って1500年ぐらいたっても変わらないんだな、と思った。
そのワンコ、イスラエルとウクライナに送った方がいいと思うね。
学生時代に手垢がつくほど繰り返し読んだ韓非子。昔の会社社長の愛読書は論語が定番だったが、韓非子読めよと思ったものだ。今、論語っていう社長はいないだろうな。
理解のないDV彼くん 武帝
サムネで🐤を連想したのは俺だけか?
大学時代の恩師が「儒家は理想を煮詰めたもの、法家は現実を煮詰めたもの。甘味も塩味も煮詰めすぎれば喉を通らない」と説明していました。
大国を治むるは小鮮を烹るが如く。これは思想にも当てはまるんだよね~
儒家と法家について、これほど腑に落ちる言葉はなかったです。となると後世の政治家たちは儒家と法家のエッセンスを塩と砂糖で味を整える料理人のような腕前が必要ですね。
かっこよすぎる言葉
私はゴリゴリの法家ですが、
覇道だけでは片手落ち、とはよく言われますね。
漢の宣帝は王道と覇道を交えるのが政治と言ってましたね
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宮城谷さんの作品だと文字の由来の解説をしながら話を進めるスタイルはかなり多い。
法か個か システムかタレントか おそらくこの辺の相克は中国史や人類史の中でずっとテーマになってたんだろうなと
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韓非の法律や人間の議論は、現代の法哲学に通じる非常に興味深い議論だと思います。冷徹にしかし愛情を持って人間と人間社会を観察した人のように見えます。
最冷的是老子,所以有道法同源的说法
ありがとうございます!
ご支援いただき感謝……まこと感謝感激でございます……!!
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法の支配なのか、人の支配なのか、公平公正か、権威主義か、中国史はさすが奥が深い。
儒家道家法家、時代が下るごとにそれぞれ別個ではなく複合的に組み合わさって人々の精神の土台になってる印象。中国だけでなく朝鮮ベトナム日本でも
現代の我々が法に囲まれて生活している、
古代中国の法家思想がそこに繋がっているんですね。
漢宣帝の云う
王覇の良い所取りこそ基本であり、現代にも通ずるところだな
法の支配の重要性についてモンテスキューらよりも1000年以上先駆けて説いたことがすごい!と思っていましたが国民国家を前提としたものとは若干ニュアンスが異なるのですね。
特に重要視した『術』とか。
勉強になりました。
若干というより、西洋の法支配と中華の法支配はまったく異なりますよ。中華の法家は確かに法の支配ですが、あくまで中央集権統治を強化することによって、国家と人民を繁栄させるためのもの。対して、西洋では中央集権を否定することが主であり、「司法」「行政」「立法」など権力分流(モンテスキュー自身はさらに細かく分けろ、と説いてる)によって、絶対者による法支配を防ぐことが前提となっています。
むろん、韓非子に説かれるようにそれぞれの説諭は今の時代にも通底している要素が多くあり、現代人の我々からしても魅力的なのは確か。アリストテレスの「ニコマコス倫理学」やプラトンの「国家」と比較して読み込んでみると、非常に面白いですよ。
『やたらと国政改革に乗り出した人々』は言い得て妙すぎる
初めの管仲は鮑叔と深い友情を結んでいたのに、末期になると韓非のような徹底的に人間不信思想になっていくのは面白い。ただ、欲深い人間の本性を利と定義して受け入れているのはまだ正直でよろしい。
現代に法治国家が残っているあたりその正しさを証明していると同時に、未来の社会はテクノロジーに補われ礼治社会が実現しているかもしれないと思いを馳せるのもまた歴史のロマン。
法家を扱っていただきありがとうございます!大変楽しく見させていただきました!
多大なご支援!!まっこと感謝感激光栄の至りですッ!!
ご厚意を励みにますます精進していきます~!!
とても面白かったです!
彼ほどの思想家の個人の記録がほとんど無いというのはとても残念なものですね
これほどの思想を練り上げる彼の人生はどのようなものだったのでしょうか…とても興味をそそられます
鳥人間さんの解説はテーマの一面だけでなく長き中国の歴史を縦にも横にも切り取って見せてくれるので毎回大変勉強になります。いつも本当にありがとうございます!
温かいお言葉に多大ご支援、まこと感謝感激でございます!!大変励みになります……!!
今後も楽しい楽しい中国史の時間をお届けできるよう、奮励努力いたします!!
素晴らしい動画、いつもありがとうございます。
少し補足するとして、中国の法家の法治主義を現代の法治主義とは別物としてみるべきと考えています。具体的に言いますと「システムを重要視し、賢者を必要としない統治が行われるべき」というのは「現代の法治主義」であり、一方、韓非が重要視する「法」「術」「勢」はすべて統治者の資質に依存する点から見ると、その法治主義は冷徹で知的、かつ国を統治する意欲と精神力と体力をすべて備わった始皇帝のような「法家的賢者」の元にのみうまく稼働しないと思われます。だからこそ秦以降の政権では法家の考えを統治の根幹に据えながらも、儒家の徳治という建前をも取り入れるなど、時代と共に改善されていったのです。
在帝王统治时期落实法家的理想需要术和势,当今社会术已经无效,势已经由深入人心的民众认同取代
Thanks!
いつもご支援いただき、本当にありがとうございますッ!!
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ほーかほーか!
個人的に故・安能務氏の著書で初めて韓非子を(名前と法家以外を)知りました
氏の著書は…今ふり返ると結構「どうかな?」と思うところもありましたが、今日までずっと中国史を好きでいられる切っ掛けを下さり、鳥人間さんと共に本当に感謝してもしきれません😊
安能務...
皇帝信号機説とか、宮中府中の権力の綱引き、就中手ごわい中華官界の「朋党比周」問題をザックリ面白く解説してくれた。私がいまだに中国史見るときのモノサシです。
「封神演義」読んで、
(後半のバトルになるとダレてるなあ、漫画化は無理だろ)。
などと思っていたら、例の傑作がジャンプで...
自分の知恵の浅さを思い知りました。
こういうお話を広く浅く知る事が、教養を高める一つの助けになるのではと思いました。何度も繰り返して見て咀嚼していくべき内容ですね。
もう10回は見ましたよ。後、法家と儒家のバランスが一番うまく取れていたのは北宋時代だったのではとふと思いました。
最期に律令が出てきましたが、まさにこの律令を通じて日本にも法家思想は入り込んでいたことになりますね。
守屋洋先生作の諸葛亮の兵法って言う本に、人材を見極める方法のひとつに、わざと難題をふっかけて、できなくてもいいから、それに対する取り組みの姿勢を見るって言うのがありましたな。
孔明、逆にやっていたような(3万近くの矢を集めろなど)
蔵出しありがとうございます♪
この法家思想が現代社会の礎になってますね!
現実をとことん直視し、言語化して体系化、そして、実際の政治に取り入れようとした、韓非、商鞅、李斯の努力には感嘆します。
確か香港に関するテーマで鄧小平とサッチャーが会談した際に、サッチャーがどれだけ「自然権・自然法が人類にとって普遍的なものであるか」を説いても鄧小平が全く意に介さなかった、という話を聞いたことがある気がするが、まさにこの韓非子の法の概念が現代でも生きていて、西洋の自然法・法の支配(人間に対する法の優越)の受容を阻んでいるんだな、と思った。
「西洋とは別の、中国には中国の法がある」という歴史に裏付けられた誇りみたいなものなんだろうなあ。
諸子百家中最高の偉人、待ってました!
今週も限定動画の作成お疲れ様でした。次は水曜日の動画を作らないとなぁ…。
カイチとかガチガチの法治主義とかメガテンファンからすればニヤニヤしちゃうネタが一杯で飽きずに見れちゃった。
そういえば鳥王朝の法律は一体どんな内容なんでしょうかね?
先日、NHKで林先生が司会してる動物バラエティを観ていたんですけど、途中で、
「この動物にはこの言葉を贈りたいです」って、韓非子のセリフ(忘れた)を挙げてたんです。
エンディングでパネラーの芸人さんが、
「今日は『ぴかんし』という言葉を学びました」
と言い放って…
…いや間違えんやろ。
1:05 法家思想には、近代合理主義のような分かりやすさがあると思いつつ、厳罰に傾きがちなところが馴染めずにいました。でも、「法」の元の字にこんな聖獣がドカンと居座っているなら仕方がない。法家思想の初期の思想家は皆、この聖獣込みで「法」のことを考えていたのでしょうから。
ほなの
そ
いつもご支援いただき、恐悦至極ゥ!
ありがたさ噛みしめ、動画作りに邁進します~!
法家深堀韓非万歳回の語呂の良さよ
安能務さんの『韓非子』が面白く読めたなあ……
「相手のためを思ってとか碌な事にならんので、自分のためにと思ってたほうが精神的にもいいぞ」
道路の「のり面」ののりって、法の字なんですよね。なんでだろう。
少し前から感じていましたが、法家思想は儒家思想に取り込まれたと思います。
反法家の漢といっても劉邦、曹参、蕭何が秦の役人だったから望もうが望まないが法家を継ぐのは当たり前だ。蕭何が秦の首都に入った時他の人物が宝物庫に殺到したのに蕭何だけは行政文書がある所に行って文書を保護してその後の漢の国家運営に役立てた。秦の後の王朝は表は儒家だが裏は法家なのは当たり前。
というか中身が何十年もかけて秦に近づけていってるからな
儒皮法骨,外儒内法大概就算是中国古代王朝的内核吧🤔
現代人のイメージする法と韓非の考える法との違いが分かりやすく説明されていて、参考になりました。
そりゃ、人間の感情を無視して、厳罰で秩序を維持しようとすれば、苛政になりますわ。
漢字大好きなので法の古代文字が知れて興奮しました。韓非子は荀子の弟子でないとすると李斯とはいつ知り合ったのか気になりますね。まぁ韓は秦の属国だったみたいだから出会う機会もたくさんあったかもしれないですね。ぼくは性善説を信じる孟子ファンなので孟子もしくは儒家思想についても解説お願いしたいです。
あれから二千数百年、今の法は、ものすごく民心に拠ったなぁ。
あけましておめでとうございます。新年早々、己の為なら嘘も方便、無法も正義と嘯く方々をSNSで多数見てしまい、「現実にもカイチがいてくれたらな〜」と言いたくなる今日この頃。
何事もバランスだよね
『仁義施さずして、攻守の勢い異なればなり』一賈誼 『過秦論』
秦朝は中原帝国の「1.0バージョン」であり、その制度は極めて不完全であった。商鞅、韓非子、李斯などの法家人物が戦国時代に適応するために制定した法律は単純に「覇王の術」、「富国強兵の術」のレベルにとどまっている。漢代の律法のように、平和な時代の社会の長期統治の問題を考え始めたわけではありません。
「儒者は文をもって法を乱し、侠者は武をもって禁を犯す」,多くの法家思想家(商鞅、韓非子、李斯、申不害、李悝)の目には、他の諸子百家は「不要な存在」である。仁義・道徳を尊ぶ儒家(孔子、孟子)は、仁義なき戦国時代には鈍感で軟弱とされ、君主の国家統治能力を傷つける。戦争に反対し、任侠の風を尊ぶ墨家(墨子)は、君主の権力掌握から外れた「武力団体」であり、彼らの存在自体が法家の法律思想を踏みにじっている。名家(公孫龍、恵施)や雑学家は売名の徒だ、ほとんどの場合は「地位や官職を与える資格がない」俗物である。道家陰陽(荘子、老子、鄒衍)は皇帝のために不老不死薬を探す必要があり、星占いなどの活動に従事する必要があり、統治者の統治合法性の弁護者にならなければならない。農家(陳相)や兵家(孫子、孫膑、呉起)は法家の統治機械の一部にならなければならない。農家や兵家の民本思想は徹底的に廃棄された。農家は君主が庶民と一緒に農業労働に従事すべきだと考えている。兵家は統治者が最下層の兵士と苦楽を共にするべきだと考えている。法家の目に映る君主は法律と社会管理を維持するための道具のように見え、百姓は「耕」と「戦」ための道具である。
軍功受爵制度、土地、人口に関する賞罰政策、残酷な刑罰はすべて庶民を激励し、懲罰し、さらに「耕」、「戦」という2つの需要をコントロールする手段である。だから秦国は「街で草木灰を撒いた人は鼻を切られる」(世界史上初の農業環境保護法案?)、「すべての国民に犯罪を制止する義務がある」、「普遍的な連座制度」、「兄弟同宅居住禁止」、「官僚たちが相手の汚職を告発することを奨励し、摘発されたすべての人が処刑される」(人類史上最も率直な反腐敗・反汚職法案?)という現代人には理解できない法律を制定することができた。
貴族の世襲権は消滅し、士大夫であれ最下層の賤民であれ、軍功によって爵位を獲得しなければならない。あるいは食糧や布の生産量に応じて労役や税負担を減免する。旧時代の井田制度と貴族土地制度は廃止され、土地の私有化は法律の承認と保護を得た。秦国もそのため、戦国乱世の中で社会治安が最も良く、軍隊の士気が最も旺盛で、百姓の労働意欲が最も高い国となった。乱世では国民全員が法の罰を受けるが、戦争から利益を得ることができるからだ。収益>懲罰、だから残酷な重刑による社会問題は一時的に無視され、法家と兵家もそれによって戦国時代の各国で最も人気のある学説となり、各種の法家人物と兵家人物が政権に上がって法律を改革し始めたが、秦国だけがこの統治思想を120年以上維持した。
zh.m.wikipedia.org/zh-hans/%E8%80%95%E6%88%98
『秦法』、『秦六律』のすべでのすべては戦国乱世の「耕」(富国)と「戦」(強兵)のためだけに奉仕し、戦争や大型土木工事(長城)、農業水利施設(都江堰)の建設に庶民を動員し続けることを強調した。日本の戦国時代の多くの諸侯や大名(例えば私が知っている武田信玄、天下統一後の豊臣秀吉)も本質的にはこの法家の法治思想と「耕戦」理論の農本主義+古典軍国主義の信者であり、農業を代表する「耕」、戦争を代表する「戦」だけが士人、武士が学ぶべきものであり、ただ彼らはもっと「儒表法裏」の道徳教化のモデルを取っている。暴政レベルの厳格な法律、賞罰政策は真っ先に放棄された。
戦国乱世の時代,百姓は厳しい賞罰政策の激励の下で軍功を立てて爵位と土地、奴隷と財富を得ることができる。農業施設、土木施設の建設に参加すると、無料の家畜、農具、減刑、贖罪などの奨励を得ることができる。天下統一の時代になると、厳しい賞罰政策と超高強度の動員は庶民にとって単純に罰的な役割を果たし、経済生活を破壊し、庶民に大きな負担を与えた。法律と賞罰政策の役割を過信し、仁義によって庶民と士人貴族を団結させる役割を軽視している。秦の地の下等爵位国民はこのような残酷な法律に耐えられなかった(非常に軽微な犯罪でも手足を切られ、爵位を奪う)、秦に征服され占領された六国の亡命貴族と遺民は最も激しい反抗者となった
同時に戦争の拡大により、軍功によって爵位を獲得した国民の数は膨大になり、爵位の含金量が大幅に下落した結果となった。統一戦争時期に立てた戦功や爵位は天下統一後の刑罰を免除することはできず、過酷な封建的義務労働や徭役を免除することもできない。これも関中と秦地の百姓が秦王朝が滅亡した後、急速に劉邦に倒れてしまう最も直接的な原因である。劉邦はあまりにも残酷な法律を制定していないが、単に「約法三章」であり、法律を簡略化し、刑罰を軽量化しているからだ。
法家って名前よく聞くけどよく分かってなかったのでよく分かってよかった
今年もよろしくおねがいします 秦の法制度と言えば基礎だけでなく体系化して国ごと変革したのは商鞅と呂不韋の二大宰相なのに2000年後まで名声を得たのは韓非。李斯なんて業績で商呂に劣り名声は韓非の件と胡亥擁立の汚名の方が上という悲劇。中国も判官びいきなところがある気がする。あとよく言われる韓を強国にするために韓非が書を書いたというのは韓があの時期に強国になるのは不可能なので眉唾。
法家的統治の先駆けにあたる魏の文侯自体が孔子の弟子に師事する儒家的な人間でありながら
法家の李克を信任して魏の全盛期を作ったってのが儒家を主として法家を従とする漢代以降長々と続いた両者の補完的な関係性を表してるみたいでなんか意味深ですね
フレッド・リンは現役最晩年にヤクルトだか阪神だかに来るっていう飛ばし記事で知ったなあ。
絶対いえないけど、仕事してて一番役に立った本って韓非子なんですよね。
マキャベリよりも遥かに大組織に向いた組織論だと思う。
特に身の守り方については、本当に身も蓋もなくて好きだな…
(でもこれを公言しちゃうと、人でなし!って言われちゃうから言えないのよ…)
読んでみようかな
マキワヴェリはアレキサンダー大王アレキサンダー大王うるさいですよ(君主論で頻繁にアレキサンダー大王を引き合いや例に出したがる)
私も今同じ理由で韓非子読んでいます。
職場にはいろんな人がいるので儒家的価値観で人付き合いすると病みそうになるため
韓非子くらいの割り切りが丁度良いです。これからの時代は韓非子です。
話を聞く限りは法は影なるもので、儒教の教えを支えるものとしては良いが、それを全面に押し出すと潰れるという印象を受ける。やはり人間不信が根底の思想が人を表立って支配するのはなんかちがうよねぇ
今BS4時に中国ドラマ「大秦帝国」で、商鞅を描いてますが、法を施行するのに、貴族や大地主の抵抗にあって非常に苦労している場面をやってます。例え秦でも、容易く法治が定着したわけではないと思いました。
任何内部改革都是艰难的,它会动摇既得利益者的权益,幸运的是商鞅虽然死了但他的理想被继续执行下去
でも漢武帝は儒家的には勿論だが法家的にも理想的な君主かというとちょっと…
汉武帝奖罚分明更多的偏向法家
戦国韓は後の潁川のことですね。
三国志の曹操が法家的だったとはよく言われることですが、彼のブレーンに潁川出身の法家(鍾繇・郭嘉・陳羣)が多かった事で裏付けられます。
まってた
なかなかに考えさせられる動画でした。
個人の資質に頼るのではなくシステムで統治する。
飴と鞭で民を統制する。
たしかに農業国を統治し、効率的な軍国主義国家をつくるにはいい方法でしょうが、社会・経済の発展と言う意味では良くないでしょうね。
法家は「政府は正しい」が前提にあり、民が政府に反すれば罰する、ですから、政府がわからないこと、間違っていることについては、修正が効きません。
決まったことを繰り返す農業国ならそれでもいいんでしょうが、商業・工業分野で「政府が正解を持っている」ことはほとんどありませんからね。
そこは民の自由に任せないと、うまく動かず発展もしません。
秦の統治に抗ったのが、斉や楚などの商業の盛んな地域だった、というのは示唆的なんじゃないでしょうか。
これは納得します。
皇帝個人を正当化するか政府を正当化するかの違いはあっても、儒家思想も法家思想も統治者は正しいという前提はありますよね。
でも歴代の中国王朝は基本的にそれ以外の統治理論を持っていなかった。
だから経済システムや科学の進歩で西洋に遅れを取ってしまった。
これは納得します。
皇帝個人を正当化するか政府を正当化するかの違いはあっても、儒家思想も法家思想も統治者は正しいという前提はありますよね。
でも歴代の中国王朝は基本的にそれ以外の統治理論を持っていなかった。
だから経済システムや科学の進歩で西洋に遅れを取ってしまった。
これは納得します。
皇帝個人を正当化するか政府を正当化するかの違いはあっても、儒家思想も法家思想も統治者は正しいという前提はありますよね。
でも歴代の中国王朝は基本的にそれ以外の統治理論を持っていなかった。
だから経済システムや科学の進歩で西洋に遅れを取ってしまった。
これは納得します。
皇帝個人を正当化するか政府を正当化するかの違いはあっても、儒家思想も法家思想も統治者は正しいという前提はありますよね。
でも歴代の中国王朝は基本的にそれ以外の統治理論を持っていなかった。
だから経済システムや科学の進歩で西洋に遅れを取ってしまった。
これは納得します。
皇帝個人を正当化するか政府を正当化するかの違いはあっても、儒家思想も法家思想も統治者は正しいという前提はありますよね。
でも歴代の中国王朝は基本的にそれ以外の統治理論を持っていなかった。
だから経済システムや科学の進歩で西洋に遅れを取ってしまった。
法家思想は実は孫子の兵法とかなり相性が良い。
ただし、孫子の兵法がタヒ生存亡の道を前提とした戦時思想だったように法家も戦争色が強く、それが絶えない時代には適合しても、法治主義そのものは別としても、平時の法運用にその思想が適するかというと、そうでもなかったりする。
実際に現代社会で孫子や法家的思想のまんまで企業や国家経営をすると、とんでもないブラック企業や体制主義国家が出来上がる。
まさに、生兵法は怪我の元。
韓非子大好き中華帝国今上皇帝「ん❓️何か不満があるのかね同志❓️」
今BS日テレの中国時代劇で大秦帝国をやっているので参考になりました。
マキャベリの君主論に先立つ法哲学
次は農家で。毛沢東とかポル・ポトに
影響与えたやつ。
紀元前の法家韓非の思想って約2000年を経て流行ったAIが人類を制御し統制する近未来を舞台にした創作物に近い物を感じる
こういう理想(空想)を抱く人って何千年経っても現れるんだなと言うのが個人的な感想
ものすごくよくまとまってる韓非子。
韓非子入門として推したい動画
現代まで残る真の帝王学。
厳しい法律は秦の特徴
所謂 諸葛公明は優秀な為政者と言われる様になりましたが彼も法治体制の元で仁義的な国家運営を行ったのでしょうか。
勢関出てきて草
これは垂涎ものの動画なのだ...
激賞にご支援!まこと感謝感激です……!!
ありがたや……ありがたや……!!!
ほーかほーか(そうかそうか)
徹底した管理と目的達成へ人々を駆り立てる信賞必罰、正と負のインセンティブ設定などは現代において大成功してる企業キーエンスと似ている点がある。
システムが高度になるにつれて、システムを粛々と運用するために要求される最低限の資質ですら何万人に一人の優秀な人を待たないといけないし
より優れたシステムを生み出すには何億人に一人の優秀な人を待たないといけない
時代が進むにつれて儒教の聖人名君の登場を待つ姿勢を笑えなくなっている
私は儒家の言うことはあまりに理想主義過ぎて、それでは国は成り立たないので好き好みでいうなれば嫌いな方ですが、法家の言うことはあまりに現実主義過ぎて、国は治まりますけど窮屈に感じます。何事にもバランスが大事ということが分かりました。今の世界の大半はその中間か独裁のいずれかに属しているのをみれば、二千年以上前から議論されていたのは凄いと思います。
「人治国家」と「法治国家」を繰り返す、c国とはこれ如何に
王建王「ほうか」
会社組織でゆうところの広く多く採用するのが人事部(儒家)で人材を適材適所に見極めるのが各部署(法家)なのかな。
違っていたらすいませんm(_ _)m
史記と戦国策の食い違いは珍しくはない。代表的なのは孫臏に関する記述である。
よく冷徹なことをマキャベリズムというが、韓非子の方が冷徹やなあ、と感じた
「法を制定して刑罰を定めるのは、民が恐れて禁を犯そうとしないようにさせるためである」素晴らしい言葉だ
一人殺しても死刑にならず、少年だからと、義務教育が終わっているのに、刑を軽くされる、おかしな話は無くすべき
同時に。白いものを黒だと言い張り、恥知らずにも自身の利を得る為に、法を捻じ曲げようとし、反社会的な行為を繰り返す陰謀論界隈や過激派活動家もいなくなってほしい…
法治とかを求める法家は愛情に飢えていたに違いない
法律って刑法とかだけじゃなくて国家運営とか統治システムそのものを定義するっていうのは今では当然のこと。理論上は法律が完全であれば、あとはそこにどんな君主や官吏をはめ込んでも国は回るって考えだろ。
しかし2000年後に世界標準となる思想を考え出すとか、この人たちは天才という表現では不足してる。無から独力でこの壮大な思想体系を拵えたのであればそれこそオーパーツだけど、諸子百家にも長い歴史があって、先人に学んだり各学派でそれぞれ議論を戦わせたりしながら発達したんだろうな。
出典がまるでないので、書いてくれませんか。
法って所謂デバイスなんだなあ、と感じます。儒や道って結局人の心を体系化したものだから半ば宗教化していったのに対して、法は人の心がない、あるのは束縛する器具のみ。あまりに即物的です。
ここ数回の動画の流れで見ていくとこのあたりの解釈が結構面白いです。人の心を信用出来ない長城に頼った王朝と外交やらで人を重視して国防を図った王朝、ただ後者はその結果宦官外戚の蔓延る朝廷を生んでしまう、そして宦官を跋扈させなかった宋も皮肉にも長城の意味がなかった王朝だったという(笑)
中国史の不謹慎な楽しみ方ってこういう皮肉の連続を追いかけることなんですよね(笑)
ん、これは日本社会でも取り入れるべき思想でもあったんだよな、お上に厳しい法思想な訳だしよ、民に対して厳しくしなくていいんだわ😜
法、、経、、
サムネイルの絵を見るとどうしてもゲスボイスで相手を論破する光景が頭に浮かびます。
実はだいぶ前の岡田斗司夫さんが人間とはと精神病を語る下りで、
正しく人は利だけで動くてのを言うてるのを聞いて、
論理的な考えを突き詰めていくと韓非子に似た思想になるんやなぁと思ったことを思い出しました。
立憲君主制の根幹は韓非子と法家じゃね?と大学時代に勉強してたことを懐かしく思い出しました。
難しい内容をわかりやすく伝えてる動画、
今回も大変面白かったてす。
墨家もお願いします
法律、ルール、マナー、価値観といった枠にとらわれない自由な環境下で、新しいことを成した奴はまだいない
史記の韓非のお話は友人だった李斯に裏切られ陥れられてなので悲しいんですよね、そして史記は友人を裏切った者の末路はえてして自業自得のものなんですよね。司馬遷は侠気のある人だったみたいで歴史上のそうした行為はちゃんと書いてしまも評価は手厳しいものになっている気がします。
孔子がいかにお花畑理想論だったかわかる気がする
キングダム作者が小島瑠璃子との密会をすっぱ抜かれたことを鑑みても、ひとというものは、利によって動くことがわかる
色と欲との二人連れ。
ちょうど今韓非子を読んでいてイメージがより膨らみました。
これから貧しくなる一方の日本で身を守り社会で生きて行くために必要な思想だと思います。
コメント欄どうなっての?最新の動画なのに4ヶ月前って?
四か月前の有料会員限定動画を本日一般公開したんですよ。
四か月前のコメントは貴族階級(有料会員)の方々のものですw
「『法治主義』ってのは現代でも理解し易いんだけど、何か違和感も持ってしまうんだけど…」
「それは『立憲主義』という概念が欠けているからだろ?」
「あ、そうだ、法律が為政者の行動も縛るという考え方が不足しているようなとこはあるね」
「荀子には為政者も縛ろうという思想があったが、それじゃ戦国時代の君主には到底受け付けて貰えない。そういう傾向が濃厚だったのが『墨家』だったが、見事に粉砕されてしまった。『法家』の法治主義というモノは、支配者向けにオブラートにしてしまった辺りが思想的な脆弱性か。法治主義は秦の時代以降、中国では基本的に貫徹されているが、権力者を縛るのは、良くも悪くも道徳主義的な儒教思想だという二重構造が、その後の中国王朝で維持され続けてきた特徴でもある」
「あんまり現在も変わっていないような…」
「まぁ、単純に西洋思想的な分類法を当てはめるのもどうかとは思うが、ただ二千年以上前に中国で立憲主義的な思想が生まれていたのは興味深いな。あくまで『三國志演義』の劉備象だが、かなり自己抑制を効かせる辺りが魅力に繋がっている。そこにはやはり権力者は抑制的であって欲しい、という民衆の思いが込められているのではないかな?」
国を治めるのは、法か?道徳か?答えは、両方なんだけど統治は難しいよね。
今の習近平政権見てると思うわ。
おかげで嬴政殺されかけたのにね…
甘い糖衣でくるめた正露丸、それが中国王朝。
砲火放火
管鮑之交の絵何かBL臭い絵だな。
人は利でしか動かない、というのは、人に善性はない、人は自己中心的=悪、ということなのではないですか?
法家认为人性本恶,儒家认为人性本善,荀子例外
中学の時にマキァヴェリを読み、高校になって韓非子を読んだからか、人間って1500年ぐらいたっても変わらないんだな、と思った。
そのワンコ、イスラエルとウクライナに送った方がいいと思うね。
学生時代に手垢がつくほど繰り返し読んだ韓非子。昔の会社社長の愛読書は論語が定番だったが、韓非子読めよと思ったものだ。今、論語っていう社長はいないだろうな。
理解のないDV彼くん 武帝
サムネで🐤を連想したのは俺だけか?